まあGAFAに代表される一部の大手企業の経営者は、こんな時代を迎えてもほとんど影響などないでしょう。そんな一部の企業経営者が、世界の富を集めてしまい多くの人を貧乏にしてしまう。それが資本主義社会の現実ですから、誰にも文句は言えません。
ではコロナによって世界的な不景気になって、国からも会社からも何もしてもらえない、貧乏になってしまう人はどうしたらよろしいのか。そう問われましたら、
「貧乏に慣れるしかない」
としか言いようがありません。しかしだからと、
「貧乏に耐えるしかありません」
とは申しません。それは
「貧乏に、どう対処するか」
だと。
国も会社も何もしてはくれない、そんな時代の貧乏とは、各個人の生き方を模索する時代になります。わたくしが本ブログで《地方》に付いて語りますのは、都会の全てがダメと言っている訳じゃないんです。
ただ都会でだけの生き方考えていたら、選択の範囲が狭まっちゃう。なぜって今の東京見ていたら、それほど魅力的とも思えませんから。だから地方の良さも見出して、考えてみるのもイィですよと申し上げているだけ。
自分をどこに置いて考えるか、その場で自分をどう活かすか。そこには、都会も地方もないと思うんです。自分にとっての適正とは何か、この貧乏下をどうしたたかに生きたらよろしいか。まさに現代とは、考え時だからのご提案なんです。